問題
東京の板前さん100人に聞きました。急須でいれた緑茶にもっとも近いのはどちらでしょうか?(*日本コカ・コーラ社調べ)
→綾鷹
問題
織田信長、豊臣秀吉に仕えた、茶道の大成者として知られる人物はだれでしょうか?
→千利休
問題
お茶と関わりの深い京都市右京区栂尾(とがのお)にある高山寺(こうさんじ)を再興したのはだれでしょうか?
→明恵上人
問題
群馬の温泉旅館の女将さん100人に聞きました。
「急須でいれた緑茶にもっとも近いお茶」として綾鷹を選んだのは100人中何人だったでしょうか?(*日本コカ・コーラ社調べ)
→65人
問題
千利休は信長や秀吉に仕えて茶事を司っていましたが、その役職はなんと呼ばれていたでしょうか?
→茶頭
問題
明恵が禅の教えを受け、茶種を贈ってもらったのはだれでしょうか?
→栄西
問題
急須でいれたような本格的な味わいを楽しんでいただくために、コカ・コーラ社が推奨している綾鷹の飲み方はどちらでしょうか?
→振ってから飲む
問題
上林家に対し、茶葉の茶壷への詰め方がぞんざいであったことを叱咤する書状を送った人物はどちらでしょうか?
→弐
問題
栄西が明恵に茶種を贈る際に使用したと伝えられる壺の名前はなんでしょうか?
→漢柿蔕茶壺(あやのかきへたちゃつぼ)
問題
綾鷹は、どのような味わいの緑茶を目指して開発されたでしょうか?
→急須でいれた緑茶のような本格的な味わい
問題
上林家には千利休の親族が嫁いでいますが、それはどちらでしょうか?
→千利休の養女
問題
鎌倉時代末期、明恵が栂尾に播いた種から育ち、生産されるようになった茶葉のことを何と呼んでいたでしょうか?
→本茶
問題
現在販売されている綾鷹のパッケージデザインはどちらでしょうか?
→弐
問題
上林家の中で、千利休とその弟子たちを招いて茶会を催したという話が伝えられている人物は誰でしょうか?
→上林竹庵
問題
「我が国の茶は京都の栂尾を第一とし、仁和寺・醍醐・宇治・葉室・般若寺・神尾時などがそれに次ぐ」と記されている南北朝時代の書物は何でしょうか?
→異制庭訓往来(いせいていきんおうらい)
問題
茶師が仕入れた荒茶を加工し、それぞれの茶葉の特徴をうまく生かして組み合わせる技術を何というでしょうか?
→合組(ごうぐみ)
問題
利休は、秀吉から切腹を命じられる直前、「今生の限りとして上林の茶を一服申したい」と書状に記していました。
さて、切腹を命じられた時、利休は何歳だったでしょうか?
→70歳
問題
鎌倉時代の末期に流行し、「本茶」か「非茶」かを飲みあてる遊戯を何というでしょうか?
→闘茶
問題
綾鷹の水色(すいしょく)は、急須でいれた緑茶と共通の特徴があります。それはどちらでしょうか?
→にごりのある黄緑色
問題
綾鷹のパッケージに記載されている、綾鷹の味わいの特徴を示すイラストはどちらでしょうか?
→青い急須
問題
「茶湯名人」と称された人物で、上林家と親しい関係にあった古田織部はどちらでしょうか?
→弐
問題
宇治茶について、「宇治は当代近来の御賞翫(ごしょうがん)、栂尾は此の間衰微の体に候」と記された、室町時代後期に編纂された書物は何でしょうか?
→尺素往来(せきそおうらい)
問題
「綾鷹」という名前には、どんな意味が込められているでしょうか?
→貴重な茶葉を織り込んだ
問題
現存する唯一の千利休作の茶室といわれている、京都の妙喜庵(みょうきあん)の中にある茶室はどちらでしょうか?
→待庵(たいあん)
問題
茶どころ宇治で毎年行われる「宇治茶まつり」では、お茶の発展に寄与した三人の人物が称えられます。
その三人とは、栄西禅師と明恵上人、もうひとりはだれでしょうか?
→千利休
問題
急須でいれた緑茶のようなにごりのある水色(すいしょく)とふくよかな旨みを作り出すために、「綾鷹」で使われているのはどちらでしょうか?
→抹茶
問題
現存する唯一の千利休作の茶室といわれている、京都・妙喜庵(みょうきあん)の茶室「待庵」(たいあん)の広さは?
→2畳
問題
鎌倉時代に、京都の栂ノ尾(とがのお)で茶の栽培を始めたといわれている明恵上人はどちらでしょうか?
→壱
問題
宇治の地に茶をもたらした人といわれているのはだれでしょうか?
→明恵
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