問題
江戸時代に上林家が担っていた、宇治の茶師を統括する役目はなんというでしょうか?
→茶頭取
問題
江戸時代に上林家に与えられた、茶師の位の中の最高位「御物御茶師」の読み方は?
→ごもつおちゃし
問題
江戸時代の宇治茶師である「御物御茶師(ごもつおちゃし)」「御袋御茶師(おふくろおちゃし)」「御通御茶師(おとおりおちゃし)」の御茶師三仲ヶ間(おちゃしさんなかま)にのみに認められていたお茶の栽培方法は何だったでしょうか?
→覆下栽培
問題
江戸時代初期、一般庶民のあいだで飲まれていた煎茶は、どんな水色(すいしょく)だったでしょうか?
→茶色
問題
関ヶ原の戦いの前哨戦となる「伏見城の戦い」で、上林竹庵(ちくあん)が出陣に際して旗印にしたのは何だったでしょうか?
→茶筅
問題
江戸時代に設けられた宇治茶師の3つの位、「御物御茶師(ごもつおちゃし)」「御袋御茶師(おふくろおちゃし)」「御通御茶師(おとおりおちゃし)」を総じて何と呼んでいたでしょうか?
→御茶師三仲ヶ間
問題
戦国時代初期、「天下一のお茶」として、その地位を不動のものとしていたのはどこのお茶でしょうか?
→宇治
問題
綾鷹のパッケージに記載されている、綾鷹の製品特徴を表すコピーはどちらでしょうか?
→急須でいれたような、にごりの旨み
問題
元文3年(1738年)に新しい煎茶の製法を考案したのはどちらでしょうか?
→弐
問題
茶葉を仕入れ、一般の人々に販売する職務に携わる人たちを何と呼ぶでしょうか?
→茶商
問題
永谷宗円が考案した新しい煎茶の製法は、何と呼ばれていたでしょうか?
→「青製」や「宇治製」
問題
関ヶ原の戦いの前哨戦となる「伏見城の戦い」で鈴木重朝(しげとも)に討たれた上林竹庵(ちくあん)の亡骸(なきがら)を葬ったのはだれだったでしょうか?
→佐野四郎右衛門
問題
江戸時代中期、永谷宗円が考案した新しい煎茶の製法とは?
→新芽を湯で蒸し、冷却・乾燥させたものを煎じる
問題
万治3年(1660年)に明から渡来した隠元(いんげん)禅師が作った唐茶とは、どんな種類のお茶だったでしょうか?
→釜炒り茶
問題
初代上林春松の祖母が仕立てた御茶を「祖母茶(ばばちゃ)」と称して愛した、上林家とも親交の深かった歴史上の人物は?
→徳川家康
問題
初代上林春松の弟・上林竹庵(ちくあん)が、宇治で茶道を志した際に教えを受けていた人物は?
→千利休
問題
江戸時代に幕府が上林家に任命した、宇治を管轄する役職は何だったでしょうか?
→代官
問題
茶師が仕入れた荒茶を加工し、それぞれの茶葉の特徴をうまく生かして組み合わせる技術を何というでしょうか?
→合組(ごうぐみ)
問題
江戸時代に設けられた宇治茶師の3つの位は、「御物御茶師(ごもつおちゃし)」「御袋御茶師(おふくろおちゃし)」とあともうひとつは何でしょうか?
→御通御茶師
問題
慶長5年(1600年)、茶道を志して茶の湯を利休から学んでいた上林竹庵(ちくあん)が、かつて仕えていた徳川家康の恩に報いるために参戦した戦いは?
→伏見城の戦い
問題
「本能寺の変」が起こった時、堺見物をしていた徳川家康を明智光秀らの追及から逃れさせ、無事に三河へ帰るまでの道案内をしたのは誰でしょうか?
→宇治の茶師
問題
元文3年に煎茶の新製法を考案した永谷宗円が、その新しい煎茶の販売を依頼した人物とはだれでしょうか?
→山本嘉兵衛
問題
急須でいれたような味わいを楽しんでいただくためにコカ・コーラ社が推奨している綾鷹の飲み方はどちらでしょうか?
→振ってから飲む
問題
徳川家康が贈った茶銘で、上林家にのみ使用が許されている「祖母昔」の読み方は?
→ばばむかし
問題
江戸幕府4代将軍徳川家綱の時代、宇治に萬福寺を開山し、そこで唐茶をつくり、お茶の普及に貢献したのはだれでしょうか?
→隠元
問題
家康が上林家に宇治の若森の茶園を与えた際、その茶園で栽培されたお茶のためにに与えた茶銘は何ですか?
→祖母昔
問題
綾鷹で使用する茶葉や抹茶は、コカ・コーラ社と上林春松本店双方が最終確認をして認められたもののみを使用しています。この会議を何というでしょうか?
→茶葉認定式
問題
初代上林春松の弟にあたる上林竹庵(ちくあん)が、徳川家康に仕えていた頃、家康によって支配を命じられていた地はどこだったでしょうか?
→三河
問題
永谷宗円が新たな煎茶の製法を考案したのは、いつでしょうか?
→元文3年
問題
戦国時代初期、宇治茶は主にどういった人たちの間で愛飲されていたでしょうか?
→将軍家や大名家などの上流階級
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